自分に特殊技能がないなら、ないなりに、 自分の “持ち物” で、戦ってみようじゃないか。

強烈な個性って何だろう。

自分が自分として、人の役に立てるって何だろう。

自分が人に求められている事って、何なんだろう。

 

kasakoblog.exblog.jp

 

かさこ塾で出逢った人達のように、

自分の個性を全開にして、

好きな事を仕事にして、生きている人達がいる。

 

でも、自分には、人の役に立てるような、

必要とされるような、

強烈な個性がどうしても見えづらい。

 

 

“踊る獣医師” は、

・ベリーダンサー兼講師

・獣医師

と言う、自分の生き方を、5文字で表現してくれる肩書き。

はじめて逢った人にも、すぐに覚えてもらえる、

インパクトを与えやすい名称。

 

 

でも。

今は研究員をしていて、

今は動物のお医者さんとして働いていないのに、

獣医師と名乗りはするものの、

個人になったら何が役に立てるのか、よくわからない。

 

ベリーダンサーとしても、

レッスンや、年に数回のイベントだけで、

生徒さん達を満足させられるものが出来ているのかも、よくわからない。

 

肩書きのインパクトばかり強くて、

中身が全然伴っていない。

そう自分が思っている事に、愕然とした。

 

 

それでも、やっぱり自分がやってきた事、

時間をかけてきた事には、それなりの自信がある。

でも、一般的な生き方を選んでないのなら、

選びたくないのなら、

それを発信していなければ、必要とされるわけがない。

ほとんどの人が知らないんだから。

 

自分が今まで目に留めてきた情報は、

たしかに今はすごい有名になっている人達ばかりで、

自分はとても…と思ってしまうし、今もそんな時もある。

でも、きっとその有名な人達も、

同じように、いろんな事で悩み、努力し、苦労し、

今の場所を築いているのだから。

 

人と違った生き方、

人と違ったサービスを売り、生業として生きたいのなら、

やっぱりコツコツとでも、

わかってもらう努力をしなければならない。

 

 

日々ブログを書いたって、

日々色々発信したって、

反応が薄いと、心が折れそうになる事も多い。

 

でも、それでも発信するのは、

自分を必要としてくれる人と、巡り逢いたいから。

 

2010年から細々とやっていたブログは

1日2桁のアクセスがやっとみたいだったけど、

それでもゴールデンタイムの某テレビ番組の取材オファーが来たのは、

何らかの経路で見つけてもらえたからなんだろう。

 

色々あって放送はされなかったが、

細々でも気づいてくれる人は、気づいてくれるのだと思ったし、

もっと必死にならなきゃいけないな、とも思った。

 

でも人は環境に慣れてしまうし、

甘んじた生活は心地よいから、

ついつい “ま、これでいっか” になってしまう。

一生懸命生きたいのに、何かに甘んじてるのは、矛盾してる。

 

 

私は、人の話を聞いたり、話をしたりするのが好き。

だから動物病院での患者さんとの対話は、とてもたのしかった。

でも、相手のエネルギーを

いいものも悪いものも、全部受け止めてしまう方だから、

話を聞いたり、したりするだけで、

ものすごくエネルギーを消費してしまう。

 

友人達と、たまにバカな話で盛り上がるのはとてもおもしろく、大好き。

でも生産性のない長話を永遠とするのは、時間の無駄だとも思ってしまう。

ただでさえ、対話にエネルギーを使ってしまう性格だから。

 

 

それなら、誰かに役立つ為の時間に充てたいと思った。

だからまずは、

前からやってみたかった、お悩み相談をやってみる事にした。

 

そして実際、進路についても、婚活についても、

興味を持ってもらえて、ご予約が入り始めた。

時間と情熱をかけた事に対して、

必要としてくださる方が、確かにいたのだ。

 

 

でももっと、自分の強みを見つけたい。

壮絶な人生を経験している人達と比べたら、

自分はいろんなものがありすぎる、充分すぎる人生だから、

そんなあたりまえのしあわせの中で

あたりまえにゆったりとした生活をしていて、

強烈な自分の強みなんて、なかなか見つからなかった。

 

あげくは、その壮絶な人生の人達を見て、

そんな風に発信出来る事すら

強烈な個性があってうらやましい、なんて感じてしまったのだ。

 

それをチラッと思った時、

「実際その現場を体感してないくせに、

実際そうだったら耐えられないくせに。何ぬるいこと言ってんの?」

って、自分に思ったよ。

 

 

それを思った時に、はじめて気づいた。

昨日のブログで発信した、“死” について。

 

www.odoru-jyuuishi.com

 

こんなに壮絶な死の現場を、

生きるか死ぬかを想ったこの現状を、

こんなにもたくさん見てきたじゃないか。

獣医師としても、

飼い主としても、

人間としても。

 

様々な立場で、

ここまで強烈に、“死” に向き合い、

自分が生きるか死ぬかの思いにまでなり、

命を削って来た事が、ちゃんとあったじゃないか。

 

常人じゃ、耐えられないレベルの事じゃないのか。

実際、大学の獣医学科に100人入学して、すぐに1割がやめたのだって、

なかなか耐えられない事だからじゃないのか。

 

 

それを獣医師になって、

曲がりなりにも5年間臨床を経験し、

自分の治療によって治る喜びを知り、

治らない辛さも知り、

自分の愛犬の主治医になり、

尊厳死で命を奪い、

愛する父の死、

そして知人達の死、

と畜場で毎日100頭を超える牛の死を見つめて来た。

充分常人じゃないレベルで、死に向きあって来た。

そんな経緯を辿っても、死に慣れると言う事は全くなく、

様々な角度で感じた、色々なメッセージを持っている。

これを必要とする人って、必ずいるって思えた。

 

 

実際、死の淵で迷う人達とたくさん接して来て、

ペットロスの人達とたくさん接して来て、

たくさん感謝されて来た。

患者さんに感情移入しすぎて、

やりすぎだ、そんな事では身が持たないと言われても、

患者さんに感謝されるなら、

そんな獣医師がいてもいいんじゃないのか。

ときには心身ともに、極限まですり減らしてまで、

その相手と深く寄り添える人って、そうそういないんじゃないのか。

 

 

私は、何か特殊技能があるわけでもなく、

その人の生きる道しるべになるかもわからず、

カードや占いなどで、その人に何かの指針を示せるわけでもない。

 

それでも、だからこそ、自分が人生で

これだけ強烈に感じて来たものを、

身一つで、必要とする人達にシェアしたいと思えたし、

相手の苦しみを、全力で受け止めたいとも思えた。

恐ろしいほどのエネルギーを使う事だけれど、

これについては、きっと誰にも負けない自分の強みだと

はじめてはっきりと感じ、昨日のブログを書いた。

 

 

ベリーダンスを教える事になったのだって、

みんなに必要とされるのだって、

思いもよらなかった。

ダンスだって、強烈な自分を発信するツール。

それを求めてくれる人達がいて、

私だから続けている、と言ってくれる人達がいる事に、

もっと自信を持ってもいいんじゃないか。

 

自分に特殊技能がないなら、ないなりに、

自分の “持ち物” で、戦ってみようじゃないか。

 

 

薄っぺらい関係なら、いらない。

自分が濃く関わりたい人達と、濃い関係を築いていきたい。

 

踊る獣医師

小森谷薫